2026.07.15
ジョー・ブラック ── 死神に、その場しのぎで付けられた名前
夕食の席で、見慣れない同席者について「ところで、こちらはどなたですか」と聞かれ、答えに窮した主催者がとっさに口にした名前が、そのままその同席者の呼び名として定着してしまう。似たような気まずさに覚えのある人は少なくないはずだ。
1998年の映画『ジョー・ブラックをよろしく』(原題 Meet Joe Black)で起きるのも、ほぼこの顛末と同じだ。ブラッド・ピット演じる男は、実は「死」そのものである。人間の姿を借りて地上に降りてきた「死」は、街で出会ったばかりの青年に目をつけ、その青年が直後に事故で亡くなる(バンに撥ねられ、続けてタクシーにも轢かれるという、念の入った死に方だった)と、青年の身体をそのまま乗っ取ってしまう。そしてその姿のまま、大富豪ビル・パリッシュ(アンソニー・ホプキンス)の屋敷に転がり込み、彼の娘と恋に落ちていく。
問題は、この素性不明の同居人を、パリッシュが客たちにどう紹介するかだった。夕食会の席で「この方はどなたですか」と問われたパリッシュは、とっさに「ジョー・ブラック」と口にする。前もって用意していた名前ではない。その場しのぎの思いつきが、そのまま劇中で「死」の通り名として定着してしまう。人間がずっと恐れ、擬人化し、鎌を持たせ黒いローブを着せてきた概念に、パーティの気まずい沈黙をしのぐために発明された、ごくありふれた名前がついたわけだ。
この映画、実は一から書き下ろされた話ではない。たどっていくと1924年、イタリアの劇作家アルベルト・カゼッラが書いた戯曲『La morte in vacanza(休暇中の死)』に行き着く。この戯曲が1929年、ウォルター・フェリスの手で英語圏向けの戯曲『Death Takes a Holiday』に翻案され、1934年に同名タイトルで映画化された(フレドリック・マーチ主演)。ちなみにこの1934年版でも、「死」は人間に化けるにあたって別の仮の名を名乗っている――「サーキ王子」というもっともらしい貴族名だ(彼を客として迎える屋敷の主のほうが「ランバート公爵」で、公爵位はあくまでホスト側の称号になる)。1998年の『ジョー・ブラックをよろしく』は、この系譜の映画版としては、いまのところ最後のリメイクにあたる。
もっとも、物語自体は映画化だけで終わっていない。同じ1924年の戯曲を源流に、2011年にはニューヨークでモーリー・イェストン作曲のミュージカル版『Death Takes a Holiday』が上演された。日本でも2023年に宝塚歌劇団 月組がこの戯曲を原作としたミュージカル版を本公演として舞台にかけ、翌2024年には宝塚歌劇団出身の演出家・生田大和が手がける新演出版が、宝塚歌劇団とは別のプロダクションによる公演として東京・大阪で上演されている。舞台はイタリアで生まれ、アメリカの戯曲に渡り、二度スクリーンに焼き直され、その後もミュージカルとして繰り返し立ち上がる。作品自体がまるで、自分の描く「死」と同じように、姿と名前を変えながら生き延び続けているようなものだ。
死そのものは、本来なら名前を持たない。死を名指しできる言葉に変えてきたのは、いつも生きている側の都合だった。「ジョー・ブラック」というありふれた名前は、その都合の中でもとりわけ素っ気ない。壮大な概念を、夕食会の気まずい一瞬をしのぐための即席の呼び名で片づけてしまう。死をどう呼んでも、結局その呼び名は人間の側が発明した仮の名にすぎない。
ジョー・ブラックとのアポまで理想を引き寄せる
——RAq「Rabbit」
▷ この曲を聴く https://big-up.style/lLKefI1c1g
RAq Profile https://mybase.fan/raq
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