2026.07.30
シティ・トゥ・シティ ── ヒット盤の裏にあった夜行列車
「都市から都市へ」という題名から、華やかな移動や新しい出会いを思い浮かべるかもしれない。けれどジェリー・ラファティにとって、それはもっと切実で、消耗する往復の記録だった。目的地は夢の舞台ではなく、弁護士の事務所だった。
1975年、ラファティが在籍していたスコットランドのグループ、スチーラーズ・ホイールが解散する。ヒット曲で知られたこのグループを離れたあと、ラファティは約3年間、新作を発表できなかった。残された契約上の義務をめぐり、関係者同士の法的な争いが続いていたためだ。
のちにラファティは、誰もが誰かを訴えているような状況だったと振り返っている。弁護士との打ち合わせのため、グラスゴーとロンドンを結ぶ夜行列車に何度も乗った。ロンドンでは、ベイカー街の近くにある知人の小さな部屋に身を寄せる。そこで話をし、あるいは夜を徹してギターを弾く。そんな時間が3年ほど続いた。
停滞を抜けた先に完成したのが、1978年1月発表のアルバム『シティ・トゥ・シティ』だった。同名のタイトル曲は、夜行列車を待つ場面から始まる。歌われる距離は400マイル。ハーモニカを担当したのは、元マンフレッド・マンのポール・ジョーンズである。
レコード会社はこの曲を先行シングルに選び、1977年9月にイギリスで発売した。しかし本国のチャートではほとんど反応がなかった。ラファティ自身がより強く推していたのは、ロンドンで泊めてもらっていた部屋の近くの通りから名を取った曲だった。
翌年2月に発売されたその曲は、全英3位、全米ビルボード2位を6週記録する大ヒットとなる。印象的な8小節のサックスを演奏したのはセッション奏者ラファエル・ラヴェンスクロフトだが、そのフレーズそのものはラファティが作り、歌って伝えたものだという。アルバムも1978年7月8日、ビルボード1位の座から『サタデー・ナイト・フィーバー』を退けた。
「都市から都市へ」は、どの国の移動にも当てはまりそうな、具体性の薄い言葉だ。シングルの題としては、多くの人を立ち止まらせることができなかった。それでもこの言葉は、500万枚以上を売り上げたとされるアルバムの表紙に刻まれ、世界へ広がった。
その言葉がラファティに指していたのは、旅のきらめきではない。創作を止められた時期に、法的な問題を片づけるため、夜行列車で何度も越えた都市間の距離だった。
「シティ・トゥ・シティ」なんて ありふれたフレーズも、新鮮に聞こえちまうのさ この朝なら、透き通った、この朝なら シリル・アビディみたいな悪童じゃないけど 現実にも喧嘩売れそうさ
——RAq「この朝なら」
▷ この曲を聴く https://raq-official.com/?p=82
RAq Profile https://mybase.fan/raq
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