2026.07.31
後楽園 ── 「後で楽しむ」が遊びの街になるまで
東京ドームの白い屋根、空を切るコースター、回り続ける観覧車。にぎやかなこの一帯の住所は、東京都文京区後楽である。
「後楽」とは、字面どおりなら「後で楽しむ」ということだ。由来は、北宋の政治家・范仲淹が1046年に記した「岳陽楼記」にある。「世の人々より先に憂い、人々が楽しんだ後に楽しむ」という政治に携わる者の心得を、のちに「先憂後楽」と呼ぶようになった。「後楽」は、その言葉の後半にあたる。
この思想を庭園の名に取り入れたのが、水戸徳川家だった。1629年、初代・徳川頼房が江戸の屋敷に庭を造り始め、二代・光圀の時代に整えられたのが小石川後楽園である。光圀が招いた、明の滅亡後に日本へ渡った儒学者・朱舜水が命名したと伝わる。大名の庭でありながら、その名には「自分だけ先に楽しむな」という含みがある。
岡山後楽園も同じ言葉に由来するが、たどった経緯は異なる。岡山藩主・池田綱政が1687年に造営を始め、1700年に完成させた庭園は、江戸時代には「御後園」「後園」と呼ばれていた。城の後方にある庭という、地理的な呼び名だった。それが1871年、一般公開に際して「後楽園」と改称され、「先憂後楽」の意味が重ねられたとされる。
東京の「後楽」は、庭園の名を越えて広がっていく。1937年、隣接する旧陸軍砲兵工廠の移転跡地に後楽園球場が開場した。名はもちろん小石川後楽園から取られたものだ。1955年7月9日には後楽園ゆうえんちが開園し、「ジェットコースター」と名づけられた乗り物が走り始める。この名称が日本に広まる契機になったとされ、開園日の7月9日は2025年に「ジェットコースターの日」として記念日登録された。
後楽園球場は1987年に幕を閉じたが、その隣には東京ドームが建った。庭園から球場へ、遊園地へ、そしてドームへ。「楽しみは後に」という戒めを宿した地名は、いつしか東京屈指の娯楽地帯を指す言葉になった。
さらに興味深いのは、「先憂後楽」を記した范仲淹自身、岳陽楼を訪れていなかった可能性が高いことだ。左遷された友人から届いた、楼の再建を知らせる手紙と洞庭湖の絵。それを手がかりに、范仲淹は遠く鄧州で文章を書いたとされる。名高い湖の眺めは、実景ではなく絵の中にあった。
後楽という言葉は、現地を見ずに書かれた一篇から生まれ、庭の名になり、都市の地名になった。そして今、その場所では人々が思い思いに試合を観て、乗り物に乗り、休日を楽しんでいる。
飛び乗るタクシー Weezyみたいに言う 「トップまで」 夜景眺めてる 後楽園 「まだ踏むなよブレーキ、加速していけ」
——RAq「Driver's High」
▷ この曲を聴く https://big-up.style/bz3ihbo4jk
RAq Profile https://mybase.fan/raq
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