2026/7/3
ドリッピング ── 偶然に見えるものの中の秩序
床に広げたキャンバスに、筆を一度も触れさせない。上から絵の具を垂らし、撒き散らし、時には缶ごと振り回す。1940年代後半、ジャクソン・ポロックが確立した「ドリッピング(ドリップ・ペインティング)」というやり方は、絵画にそれまであった手順をまるごと外していた。イーゼルに向かい、筆を握り、対象をなぞる——そういう作法を踏まずに、絵ができあがる。 問題は、ドリッピングで生まれた絵をどう見分けるかだった。ポロックの死後、真作と主張される作品が次々に見つかったが、筆致という手がかりがそもそも存在しない絵は、鑑定のしようがない。 この問題に1999年、物理学者リチャード・テイラーが一つの答えを持ち込んだ。学術誌ネイチャーに発表した論文で、ポロックの絵にはフラクタル(縮尺を変えても似たパターンが繰り返し現れる幾何学的な性質、海岸線や樹木の枝分かれにも見られる構造)が数学的に確認できると示したのだ。一見デタラメに飛び散った絵の具の中に、実は測定できる秩序がある。テイラーはこのフラクタル次元を、真贋を判定する客観的な数値として提案した。 この提案でポロックの絵は「数値化できる」ことになった、はずだった。しかし2006年、別の物理学者ケイト・ジョーンズ゠スミスとハーシュ・マトゥールが同じネイチャー誌上でこの手法に待ったをかける。二人はフォトショップで数分もかからずに描いた、子どもの落書きのような単純な図形を用意し、その図形がテイラーの基準を通過してしまうことを見せた。フラクタルらしさがあるというだけでは、ポロックの絵と誰でも描ける落書きを区別できない。 2006年の反論だけでは終わらなかった。ジョーンズ゠スミスとマトゥールは物理学者ローレンス・クラウスを加え、2009年に学術誌フィジカル・レビューEで続報を出す。今度は逆方向から突いた。美術館に収まっている、真作と疑いようのないポロックの絵を測ると、複数がテイラーの基準を満たさなかった。一方、この研究のために学生に描かせたドリップ絵は、基準をあっさり通過した。本物が落ち、偽物が通る。論文の結論はこうだ——フラクタル分析からは、芸術的な真贋についての情報は一切得られない。 秩序を数えて証明しようとした道具は、秩序っぽく見えるだけのものまで、平等に数えてしまう。 > ルールの上にドリッピング、ジャクソン・ポロック ——RAq「フリークアウトプラン」 ▷ この曲を聴く https://raq-official.com/?p=82 RAq Profile https://mybase.fan/raq
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