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2026/7/9

デカルト ── 『省察』にはなかった有名な一行

すべてを疑ってみる、という思考実験をしたことはあるだろうか。目の前の景色も、たった今頭に浮かんだ考えも、全部いったん疑ってかかる。そこまで疑い抜いたとき、最後に何か一つでも残るものはあるのか。 17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトは、この問いを本気でやってのけた人物だ。「方法的懐疑」と呼ばれるやり方で、まず感覚を疑う。目や耳の感覚は時々ズレる。夢と現実の区別さえ、実は確実ではない。数学の答えでさえ、もし自分が全知全能でずる賢い何者か(デカルト自身はこの存在を「欺く霊」と呼んだ)にずっと騙され続けているとしたら、疑いようがある。 この方法的懐疑で疑えるものを一つずつ削っていくと、最後にひとつだけ疑えないものが残る。「今、疑っている(考えている)自分がいる」ということそのものだ。この結論を疑おうとした瞬間、疑っている自分の存在を認めてしまう。 この結論を指す言葉として知られているのが「我思う、ゆえに我あり」だ。だが、この一文が最初に世に出たのは、実は1641年の『省察』ではない。その4年前、1637年の『方法序説』第4部で、デカルトはすでにフランス語で "Je pense, donc je suis" と書いている。 ところが肝心の『省察』(その結論を最も突き詰めて論証した本)の本文を読んでも、このフレーズは一言も出てこない。その本文にあるのは "ego sum, ego existo(私はある、私は存在する)" という、また別の言い回しだ。おなじみのラテン語 "cogito, ergo sum" が文献にはっきり姿を現すのは、『省察』のさらに3年後、1644年の『哲学原理』になってからのこと。 つまりこの一文は、一番有名な結論を証明した本より先に生まれ、その証明が書かれた本には出てこず、証明が済んだあとになってようやく定型句として固まった。順番だけを追うと、どこにも収まりが悪い。 みんなが「『省察』に書いてある」と思っている場所に、実はその言葉はない。 > 24/7で遊ぶメタゲーム / ビートの上でも 俺デカルトみたいに考えている / What's real? ——RAq「Advanced Flow」 ▷ この曲を聴く https://big-up.style/JA3aMv5Ral RAq Profile https://mybase.fan/raq

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